f/q交換日記(2026年6月9日・小沼理)
近藤銀河さん、瀬戸マサキさん、水上文さんとの交換日記の3周目です。今回は第10回。バックナンバーはこちらから。
第1回 水上文さん
第2回 小沼理
第3回 近藤銀河さん
第4回 瀬戸マサキさん
第5回 水上文さん
第6回 小沼理
第7回 近藤銀河さん
第8回 瀬戸マサキさん
第9回 水上文さん

年々時間が過ぎる速度が早くなる……水上さんから交換日記のバトンを受け取ってからもう2ヶ月が経ってしまった。まだ1ヶ月くらいのつもりでいました。プライドマンスですね。季節が変わって、また夏が来そうです。
4月に『悲しい話は今はおしまい』という新しいエッセイ集を発売して、東京や関西でたくさんイベントをやらせてもらいました。このあともいくつかあるんですが、発売直後のイベントツアーはひとまずおしまい。
感想を色々と見ていると、執筆時の自分と同じように政治や社会に無力感を覚えて絶望しそうになっている人のもとに届いていそうです。書いてよかったなあと思います。同じように感じている人は多いだろうし、この高市政権下で社会運動をはじめて、似たような気持ちになる人はこれから増えるんじゃないかと思うから、まだまだ広く届いてほしい。
一方で、「読んでいて苦しかった」という感想もたまに聞くのでした。全体としては明るい本を作ったつもりだったし、誰かの支えになればいいなと思って書いたから、予想外ではあった。
セルフネガキャンになりそうなそこはかとない雲行きの怪しさを感じつつ続けると(笑)、苦しかったという感想は、付き合いが長い人や親しい人数人から聞いた。それはもしかしたら、自分はまだ文章を書く時は肩に力が入っているということなのかもしれない。正直に書いているつもりだけど、友人と過ごしている時に発揮される実はけっこういい加減でイージーゴーイングな部分を、文章にまだまだ載せていくことができるのかも。
「誰かを助けようなんて思わなくても、小沼くんが楽しそうにしていたらその姿を見て勝手に救われる人がいるよ」。これは本を読んだ友人と飲んでいた時に言われた言葉。ちょっとムカついた(笑)。でもたしかに、この本の中で私は友人たちについてたくさん書いたけど、かれらはみんな私のことを助けようなんて微塵も思っていなくて、私が勝手に救われただけだった。そしてそれで全然よかった。
自分の経験を本にするのは不思議なもので、書店に並んで色々な人の手に渡ってみて、ようやくその経験を冷静に振り返れるようになる気がします。『悲しい話は今はおしまい』を書いて思うのは、この間、私めちゃくちゃ思い詰めてたんだな……ということ。この本は、その暗いところから明るいところへ向かっていく時期の話になった。「誰かの支えになれば」とか「助けよう」とか考えず、本当に明るい話だけを詰め込んだようなものは、これから書いていくことになるのかもしれません。そうやって書きながら変わっていく、変わっていくことを書いていく人間なんだと思います、私は。
今はまた次の本を書きたい気持ちでいっぱいです。すでに一つ動き出している企画があるんだけど、それとは別にいくつか書きたいテーマがある。積極的に動きたい気分だから持ち込みとかしてみたいけど、一緒に作ってくれる編集者、どこかにいないかなー。
水上さんとは3月に「道をつくる3」でお会いしましたね。Nikkei Decolonization Tourのトークも、「Re: Orientations」もすごく良かった!
自分も最近英会話をはじめました。運がいいことによくお願いしている講師がクィアで、一人はゲイ、もう一人はアセクシュアル。日本語と比べたら本当に全然話せませんが、「パレード歩く?」とかいう話が気兼ねなくできるのは楽しいです。
自分は友人のつながりの中で非日本語話者のクィアと知り合う機会が多くて、その人たちともっとちゃんと話せるようになりたいという動機で語学(英語と、あと韓国語)を学んでいます。だから講師がクィアなのはレッスンであり実践でもあって非常にラッキー。ゲイの講師の人とはこの前インスタも交換しました。
これがクィアへの理解がまったくない人だったら、話せる内容がかなり違っていたと思う。ましてやTERFだったら……。マサキさんもクィアやフェミニストがやさしい日本語と英語で会話できるProgrezTribeを立ち上げていたけど、安心して自分の興味関心を話しながら語学を学べる場って、全然当たり前じゃないんだなあと実感しています。
あとは近況として、東京プライドでパレードを歩きました。タックスノットという行きつけのゲイバーの面々に混ぜてもらって、先頭で巨大なレインボーフラッグを持って。
SNSを見るとTPの至らないところがたくさん指摘されていて、散々なイベントだったように見えるけど、参加した実感としては「最高ではないけど最悪でもなかった」という感じでした。東京のプライドにはこれまでも愛憎入り乱れた複雑な思いを抱いてきたけれど、去年くらいから愛が薄れると同時に憎も薄れ、ちょっとクールに見ているところがある。以前が愛ゆえの憎で批判精神もりもりだったから、今の方がフラットに見ているかもしれない。
商業化とハッピープライドで政治性が漂白されていると感じたら、反戦も反差別もFREE PALESTINEも問題のある企業への抗議も会場で主張して、漂白の上にどんどん書きつければいいと思ったし、実際にそうしてる人たちをたくさん見かけた。少なくともその自由が今年はあったと思う。ゴーゴーボーイなど露出のある服装や性表現が規制されていたらしいのはプライドとしてどうなんだと思ったし、より周縁化された人の居場所をどう作るかは試行錯誤を続けるしかないと思ったけど。
パレードを歩いてみて、政治性はたしかに薄く見えるんだけど、それはただ骨抜きにされているだけではなくて、街全体が隅々まで商業化したクリーンな東京の空気の中で声を響かせるための一つの政治性なんだろう、と納得する瞬間もちょっとありました。
そもそも大規模に思える代々木の会場と1万5000人のパレードも、社会全体からしたらぜんぜん大したことない規模なんだよね。まだ社会にLGBTQ+の存在が十分に浸透していない状況では、どんなに耳ざわりよくコーティングしても異議申し立て、ノイズになる。DEI離れが進みそうなこの状況ではなおさら。うるさいノイズだから無視できなくなることもあれば、耳ざわりのいいノイズだから聞かれることもある。両方必要なんだと思いました。
まあ、骨抜きにされているだけの部分もたくさんあるから(趣旨を理解してなさそうなスポンサーの協賛とか)完全に肯定はできない。ただ、「今ここ」の東京の空気をもっとよく観察して、その中でやっていく方法を探す必要性を感じたかな。
クィアはここではないどこかへの想像力を大切にしていると思うし、実際にそうしてラディカルに問い直すことが重要な場面も多くある。だけどそのラディカルさが人を不信と否定の泥沼から出られなくしてしまうのを少なくない数見てきたし、自分もそうだったことがあったと思う。
それに、実際に何かを変えていくためには、現実的な調整が不可欠になる。その調整を続けてきた人の話を聞く機会が何度かあったのも大きいかもしれない。これもまた、「書きながら変わっていくこと」ですね。
それから、最近またデモに参加する機会が増えています。高市政権の腐敗ぶりがやばすぎて……。
国会前で定期的に大きなデモが行われていて、各地で開かれるデモに多くの人が参加していることには可能性を感じています。ペンライトや変なのぼりを持って親しみやすい空気を作ることで参加のハードルを下げていて、これまでのデモとは雰囲気が変わってきているのも興味深い。
今のデモで目立っているペンライトは、韓国の尹大統領の弾劾デモで使われたものでした。抵抗の技法が国を超えて伝わってくるのは、ありがたいし素晴らしいなとぐっとくる。
こうして韓国のデモ文化を日本が取り入れることに批判的な意見も見たのだけど、私はそこで負い目を感じる必要はないんじゃないかと思っています。何年か前、韓国の友人と日本の加害の歴史についてメールでやりとりをしたことがありました。私の「自分は加害側だから」と肩に力が入った文章に、友人が「小沼さんがしたことではありませんし、日本政府が謝罪をしていないことや教育で歴史を教えないことにポイントを当てるのが良いと思う」と返事をくれたことを思い出します。
国は国で、人は人なんだ、と思います。加害の歴史的な責任を追及しながら、それぞれの市民が民主主義を守ろうとする立場として連帯することはできる。
もし負い目を感じるとしたら、それは「日本は加害をしたのに」とかよりも、同じ市民なのに教わるばっかで面目ない! 自分たちも韓国の人たちが使える技を発明しなくちゃ! みたいなことなんじゃないかと思います。場数が違うからすぐに追いつくのは難しそうだけど、でもやっぱ頑張りたいところ。
そんなことを考えながら、明日から韓国へ行ってきます。なんと四度目のソウル・クィア・パレードです。きっとまたいろいろなことを学んで、持ち帰ることになるでしょう。
今年はソウルのゲイタウン鍾路のヒストリーツアーに参加したり、東アジアを巡回中だというクィアアートの展示を見に行ったりと、パレード以外にも色々とやることがありそう。たくさん楽しんできます。その話はまたどこかで!
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